東京2020パラリンピック競技大会成功へのヒント(後編)「大分市民と障がい者スポーツ」

中村裕医師の残したレガシーの1つでもある、大分県で37年以上続く国際車いすマラソン大会。国内外問わず多くのアスリートを受け入れ、街をあげて車いすマラソンを応援し続けている大分市民の方々へ「障がい者スポーツとの深いつながり」についてお話をうかがいました。
大分市民の皆さんの言葉から、東京2020パラリンピック競技大会を機に、共生社会を実現していくためのヒントが見えてきました。

池永さん(団体職員)
Q 大分市で行われている国際車いすマラソン大会は、街をどのように変えたと思いますか。

A
車いすマラソンは大分市の風物詩になっています。世界各国から選手が来て、街で練習している様子を毎年目にするため、彼らを障がい者として意識して見ていません。街の人はみんなアスリートが来ていると思っています。なにより、大分市の人たちは車いす単独のマラソン大会が日本国内では大分市が初、そして世界クラスの大会となっていることに誇りをもっています。
大会をずっと続けているうちに、大分市民の間では、障がい者も同じ仲間であり、当たり前にスポーツをするという認識が自然に広がっていったのだと思います。そのようにして土壌ができていきました。
例えば、大分市や別府市の人たちは、障がいのある人が横断歩道や危険な場所を通っていたら、「大丈夫ですか?」、「車いすを押しましょうか?」などと、自然に声をかけます。そのような景色を日常的に目にし、それが普通になっています。障がい者と接することに躊躇がないのだと思います。

Q お話を聞くと、国際車いすマラソン大会がもたらした影響もあり、大分市は皆が共存していて、とても住みやすそうな街だと感じるのですが、さまざまな人たちが共に生きる社会をつくるためにはどのようなことが大事だと思いますか。

A
障がい者が街に出て、街の人がその状況に馴染み、普通に接していくことが大事だと思います。障がいもそれぞれがもつ個性の一つなので、障がい者を特別意識する必要はないです。大分市や別府市は、多くの車いすの人が暮らしているため、街中のあらゆる場所で、ずいぶん前から車いすに対応しているところが多くなっています。
大分市は障がい者向けの施設が多く、病院も多いように思います。別府市も同様に、障がい者の社会福祉施設やリハビリテーション施設が多くあるため、障がい者の居住比率が高いと思います。さらに、大分県は障がい者スポーツ指導員の人口当たりの数が全国で上位だと聞きました。このような状況の背景には、やはり大分県出身の中村裕医師が残したレガシーの影響があるのではないでしょうか。

片山さん(左)、池永さん(右)

片山さん(市役所職員)
Q 大分県では、なぜここまで障がい者スポーツが普及していったと思いますか?

A
日本で初めての「身体障がい者体育大会」を大分県が開催したと聞いたことがあります。その当時は、障がい者がスポーツをすることに対して世間からの批判が多かったようですが、大分県はその時から地道な活動を積み重ねてきました。大分市で毎年、車いすの国際マラソン大会が開催されるようになり、沿道で市民が観戦・応援するのが恒例行事になっていったということが大きいと思います。
また1964年の東京大会を通して、障がい者および障がい者スポーツが、「アスリート」として、「スポーツ」として世界的にも認められました。それも大分県民にとっては、誇りになっていったのだと思います。 そのようにして障がい者スポーツを自然に受け入れられる土壌ができたのではないでしょうか。

Q 障がい者スポーツが普及したことと街の人の暮らしに繋がっていることはありますか?

A
障がいがある方を街で見かけた時は、「何か困ってますか?」「何かしましょうか?」という声がけを挨拶と同じような感覚で普通にしています。

Q 東京2020パラリンピック競技大会に期待していることはありますか?

A
パラリンピックを通して、日本人の意識改革や、多様性を認め合えるようなきっかけになればいいですね。スポーツだけでなく、幅広いジャンルにおいて、そうなれば良いと思います。

関元さん(飲食店オーナー)
Q 大分市内で車いす利用者に対応したバリアフリー設計されたバーを経営されているとのことですが、何がきっかけだったのですか?

A
僕のじいちゃんは片足で、「ほんとに大変だなあ。」という想いがベースにあったのがきっかけです。また、スウェーデンに旅行で訪れた際に街中のバリアフリーが進んでいることに驚き、その影響で自分がお店を作る時には、バリアフリーのお店にしたいなと思うようになりました。
設計の段階から車いすの方へアドバイスをお願いしました。その中で、街にはたくさんのバリアがあることに気づき、普段の生活の大変さを学びました。もし、お客様が不慮の事故などに遭われても、変わらず来ていただけるようなお店にしたいと考えていたので、店の各所に工夫を施しました。例えば、カウンターは車いすから移って座れないことが多いという話を聞いていたので、ローカウンターにして車イスにあわせた高さに調整したり、トイレも車いすの方が入れるように客席数を減らして、トイレのスペースを広く確保したりしました。
このお店をオープンして13年が経ちますが、今では車いすマラソンの大会の後に、選手がみんなで遊びに来てくれるようになりました。色んな方が来てくれるようなお店になってよかったなと思います。

関元さん

今吉さん(施設職員)
Q 車いすのマラソン大会などの障がい者スポーツが大分の街に与えた影響は大きいでしょうか。

A
私もスポーツをやっているのですが、30年くらい前は障がい者の参加はお断りしますなどはよくありました。それでも障がい者たちは色んな大会に出向いていました。「怪我するからだめです。」と言われても、「いや、大丈夫。怪我しても全然問題ないから。 」と、積極的に出ていったのが良かったのだと思います。競技に参加すると、周囲も最初は違和感があるようでしたが、競技が進んでいくうちに皆で楽しめるようになっていきました。障がいがあっても出来ることがあるということを理解してもらえるからなのだと思います。スポーツの良さはそこにあります。今でこそ、色々なスポーツに障がい者が参加できる環境になってきましたが、大分県では昔から障がい者が自ら積極的に参加していくような姿勢がありました。そのような姿勢が街にもたらした影響は大きいのではないでしょうか。

今吉さん

Q 大分が多様性を認め合える社会に繋がっていったきっかけは、スポーツの他にもあるのでしょうか?

A
中村裕医師が別府の片田舎の亀川という街で、障がい者の社会福祉施設を開設したことがきっかけとなり、50年以上前から、障がいのある方がたくさん住んでいます。
今でこそ、一般のお店でもバリアフリーで店内にスロープがついてることが多くなってきたけれど、亀川では50年以上前から街のいたる所でスロープがついていたり、車いすでの移動に配慮があったりしています。そうしないとお客さんが来られないですから。それが当たり前ですし、それが他の人の邪魔になるかといったら、そうではない。ベビーカーを押している人やお年寄りにとっても便利です。このように、亀川は誰にとっても住みやすい街なので、障がい者の社会福祉施設でもともと働いていた人達も、リタイアした後も住み続けています。

Q 東京2020組織委員会は、東京2020大会に訪れる様々な人々が、お互いを認め合い尊重し、同じ時間を共に過ごすことができる方法を探っています。大分の街で暮らしている中で感じる、様々な人たちが共に生きる社会をつくるために大事なことは何だと思いますか。

A
障がい者が暮らしやすい環境づくりが大事です。街が障がい者にとって暮らしやすくなれば、日常生活を共にする場面も多くなり、買い物や食事などが他の人たちと何も変わらないことを知ることができます。私たち大分市民は、それが当たり前のこととして何十年も生活をしてきています。それは私たちの世代から子どもたちの世代へとずっと繋がっていくものです。
昔は、周りに見られたくないから障がい者は外に出ない、ということがあったと思います。今はそのような時代ではないので、どんどん外に出て行き、出来ないことは出来ないと発信していくのが良いのではないでしょうか。私たちだけでは出来ないことも、「障がい者もそうでない人も、お互いに協力することで解決できる問題ならば、みんなでやればいい」という考えを持った人たちが、大分市には多いのかなと思います。

東京2020パラリンピック競技大会成功へのヒント(前編)「日本のパラリンピック発展に人生を捧げた男たち」